現在までのパチンコの歴史について|財産になったブログ100回達成記念

「不調台を見切って好調台で立ち回る」記事公開100回達成

当ブログのことで申し訳ないのですが、第一目標の 記事数100回を迎えられました。当ブログに訪問していただいている方のお陰のみです。

グーグルアナリティクスで統計を毎日、チェックしておりますが、ページビュー数も跳ね上がりから、平均横一直線ほどに落ち着いてきました。

記事を書いている本人としましては、このまま果てしなくページビュー数が伸びて行くと思っておりました(笑)

ページビュー数的にはまだ目標に届いていませんが、気合を入れてここ数日は毎日更新して、皆様がパチンコで勝てるようにと本気で思って記事を書いております。

ゴタクはいいから、リスクなしで本当に勝てるパチンコの記事を書いてと言われそうです。分かっています。でもやはり、パチンコで勝ち続けるということほど難しいことはありません。

ビル・メンテナンス業を営んでおり、一般の清掃とは違うことや、ビル・マンションの設備工事をして誰にも負けない自信も持っているのですが、パチンコほど難しいものはありません

パチンコで負ける原因とはホールへ行った限りは大当たりを一度は引かないと気が済まないとか、「激アツ」演出を外すと腹が立ってイヤになるとが起因します。

「大当りするまで打ってやる!」と思った時点で負け組です。

私は大当たり後即ヤメ派ですが、いまだに当たらないとイヤになってかかるまで居座ってしまうことがあるのです。

パチンコの歴史と私

いろいろと内緒ですが、電動ハンドルが初めて世に出た以前の手打ちの時代からの経験者です。天釘命釘だったころからということです。現在は命釘がヘソですよね。

1948年(昭和23年)正村竹一氏が「正村ゲージ」を考案されて現在に至っているのは有名な話です。私もまだ生まれていませんでした。MASAMURAのメーカーの台が数年前まで存在したのをご存じてしょうか?

とんでもない開発費がかかるパチンコ台を作る必要はなく、パチンコの特許だけでも凄いらしいです。

1950年(昭和25年)貸玉料が1個2円になる。役モノの「チューリップ」が登場。

1964年(昭和39年)風俗営業取締法の一部改正で、18歳未満のパチンコ店への立ち入りが禁止されるそれまでは未成年でも入れたということですね。私も父親に1度だけ連れていかれました。床が灰皿でした

1972年(昭和47年)貸玉料が1個3円になる。

1973年(昭和48年)電動ハンドルが登場する。景品の上限額が1000円になる。この辺りからパチンコ人口が急増します。ジャン球という麻雀とパチンコを組み合わせた機種もありました。後のアレパチです。

1978年(昭和53年)貸玉料が1個4円になる。

1980年(昭和55年) 業界初のデジパチ、三共の『フィーバー』登場。衝撃のデビューです。この先パチンコが黄金期を迎えます。景品の上限額が2500円になる

1981年(昭和56年) 羽根モノの元祖、平和の『ゼロタイガー』登場。懐かしいですね。ものすごい人気でした。デジパチ設置台数30%規制の実施(組合の自主規制)

1985年(昭和60年)新風営法(=旧要件)が施行され、型式検定試験が開始される。デジパチでアタッカー内の10カウント規制が実施される(大当たり確率1/200の1300発機の登場)

1991年(平成3年)年頭から『新要件』機種が続々と発表される業界初となる。液晶カラーモニター搭載の「麻雀物語」登場。3回権利モノ「エポック(平和)」の登場。

1992年(平成4年)ブラボーキングダム等の登場で連荘機が全盛期を迎える。CR機1号機の『CRフラワーショップ』が京楽から登場する。人気機種、ブラボーキングダム。FパワフルⅢ 。

1993年(平成5年)CR機の『CR花満開』が大ヒットする。『ダービー物語事件』により連荘機が自粛される。

1994年(平成6年)確変2回ループの爆裂機『CR黄門ちゃま2』が大ヒットする。初の時短機「エキサイトレディー2(ニューギン)」が登場。人気機種、天国キッス。CR黄門ちゃま2。

1995年(平成7年)保通協が「諸元表」の提出を義務化する。CR権利モノ「CRギンギラパラダイス」の登場。プリペイドカード偽造の深刻化により「受付機」が登場する。

人気機種CRギンギラパラダイス。ミルキーバー。
過去最高のパチンコ人口290万人を記録(調査:レジャー白書)

1996年(平成8年)業界4団体から構成されるの「遊技業2001年会」が、現金連荘機を中心とした「社会的不適合機」96機種を発表する。

日工組の内規が改定され、10月1日より保通協に持ち込まれるCR機に「5回リミッター」が義務付けられる。

プリペイドカードの互換性が廃止され、ハウスカード化する。人気機種、プリティーハート6。マジカルランプ。

1997年(平成9年)社会的不適合機の撤去開始。5回リミッター付きの「新基準機」の導入開始。パチンコ人気に歯止めをかけたのですね。

1998年(平成10年)5回リミッター機の不人気により市場が低迷。

1999年(平成11年)内規改定で1月13日より保通協に持ち込まれるCR機から5回リミッターが撤廃され、幅広い機種の登場が可能になる。

「’99基準機」の第一号は『CRFゼウスSX』。その後、確変2/3タイプの『CR妖怪演芸FN』、確変回数限定タイプの『CRFゴーストSP』、数珠つなぎ連荘タイプの『CRジャングルパークXLTD』等も登場する。

2000年(平成12年)’99基準の規則に沿った3回権利の『CRスーパーコンビSP』が登場するが短期間で撤去される。

ホールは海物語3タイプ一色になる。ここから現在まで海物語の黄金時代です。今から考えられない海物語だらけでした。

人気機種、パロディウスだEX。不二子におまかせV。

2001年(平成13年)CR天才バカボンV』と再販された『CR海物語』が人気を独占。人気機種、CR天才バカボンV。CRあしたのジョー。

2002年(平成14年)8月28日-29日、幕張メッセにて『パチンコ・パチスロ産業フェア2002』が開催される。(来場者数73,857人)21世紀基準機が登場する。

第1号機はSANKYOの『CRFウォンテッド』。確変後の通常当りに時短が付くものです。人気機種、CRピンクレディーX。CR必殺仕事人Z3。

2003年(平成15年)8月の内規改正で100%確変に突入するタイプが認められる。

2004年(平成16年)新規則が1月に公布、7月1日より新規則が施行され、10月には新規則第1号機の『CRおそ松くん』が発表される。大当たり確率1/500未満の超MAXです。

人気機種、CR大ヤマト2、CR花満開極VS。CRニューマジカルランプ。

2005年(平成17年)改正風営法が11月7日に公布される(公布から6ヵ月以内に施行予定)「許可の基準」(風営法第4条)も同時に改正され、遊技機の無承認変更では、許可自体が取り消される可能性も。

人気機種、CR大海物語56。CRウルトラセブンL77、CRFユンソナMF-TL

2006年(平成18年)人気機種、CR新世紀エヴァンゲリオン・セカンドインパクトXF。CRぱちんこ冬のソナタM62TF2。

2007年(平成19年)人気機種、CR義経物語QKW。CRぱちんこ必殺仕事人Ⅲ XR65TF7。

2008年(平成20年)人気機種、CRぱちんこ北斗の拳HVJS。CRぱちんこ冬のソナタ2。

2010年(平成22年)人気機種、CRギンギラパラダイス2MKF。CR牙狼~陰我消滅の日~Z。

2011年(平成23年)人気機種、CR浜崎あゆみ物語‐序章。CRびっくりぱちんこ銭形平次 with チームZ。

2012年(平成24年)人気機種、CRヱヴァンゲリヲン7。CRぱちんこAKB48V8。

2007年(平成19年)人気機種、CR義経物語QKW。CRぱちんこ必殺仕事人Ⅲ XR65TF7 。

2008年(平成20年)人気機種、CRぱちんこ北斗の拳HVJS。CRぱちんこ冬のソナタ2。

2009年(平成21年)人気機種、CR新世紀エヴァンゲリオン~最後のシ者~SFWS。CRスーパー海物語IN地中海MTB。

2010年(平成22年)人気機種、CRギンギラパラダイス2MKF。CR牙狼~陰我消滅の日~Z。

2011年(平成23年)人気機種、CR浜崎あゆみ物語‐序章。CRびっくりぱちんこ銭形平次 with チームZ。

2012年(平成24年) 人気機種、CRヱヴァンゲリヲン7。CRぱちんこAKB48V8。

以上引用:>休日パチンコの勧めブログ内のパチンコの歴史

日本生産性本部が今夏に発行した「レジャー白書」によれば、ピークだった1995年に2900万人いたパチンコ参加人口が2006年は1660万人に半減し、13年にはとうとう970万人と初めて1千万人を切ることになった。

売上(貸玉料)は95年が30兆9020億円に対し、06年は27兆4550億円、13年は18兆8180億円と下がっている。

2017年7月20日、公益財団法人日本生産性本部が発表した「レジャー白書2017」によれば、パチンコ参加人口は940万人と発表され、前年の1070万人から130万人(12%)減となった。

これは2013年以来3年振りの1000万人割れとなり、また過去最低の参加人口数となる。

併せて市場規模も21兆6260億円で1兆6030億円の減少、参加人口、市場規模ともに縮小したことになる。

以上引用:>パチンコ人口がピーク時の3分1に激減、1000万人を切る 「AKB48」や人気アニメを使った台に若者は来なかった

パチンコ業界はこのまま廃れて、何れ消滅するのか

この歴史を見ているとパチンコは衰退の道を辿っていると言えるでしょう。

その上、パチンコメーカー、ホールはCMやイベントの自粛等で締め付けられていると思われますが、20兆円を超える莫大な産業です。

ということは、財政赤字の日本にとって、とても大事な税金、すなわち、財源になるわけです。

簡単に潰されるような産業ではありません。パチンコ業界をを消滅さすとそれに代わる財源などありません。心配しなくてもパチンコはなくならないはずです。

パチンコホールにお客を呼び戻す

これからはメーカーは自粛して、暴利多売をやめ、パチンコホールの台所を締めつけないことです。そうすれば、パチンコホールは新台ばかりにお金をかけずに済むわけです。

その分をホールが利益を上げるのではなく、お客から搾り取っていた利益を還元するというのが理想です。

新台にしかお客が集まらないのは旧台に飽きたのではなく、締め過ぎだからです。

お客に還元すれば、遠のいたお客も必ず帰ってくると思います。何故なら「勝てないパチンコ」を辞めたのであってパチンコそのものが嫌いでやめてはいないのです。

パチンコ玉循環機器等ホール作りのメーカー、名機モンスターハウスの竹屋やベルサイユの薔薇のaaaなどパチンコ台から撤退したところもあります。

それほどパチンコ台が派手になり、開発費が販売費を上回るくらい高価なパチンコ台になってしまいました。

私達は図柄が揃って玉が出ればそれでいいと思いますけど。メーカーとホールは如何に出玉を出さないかと考えて新台を作ったり、設置したりしています。

飲み放題の飲み屋に行ったつもりが、ぼったくりバーだったということですね。

政府は他のことは置いてメーカーにパチンコ台の販売の自粛どころか、規制をすべきだと思います。

他国へお金が流れるというのは、体裁だけのことと思います。遊戯人口が増えれば「お金」がもっといろんなところへ行き渡ると思うのは筆者だけでしょうか。

パチンコ反対ばかりの国会議員ですが、パチンコ業界を後押しできる議員が現れないでしょうか?難しいですね。

立ち回り方はこちらをご覧ください。

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1.不調台を見切って好調台で立ち回るパチンコの実践方法-その3
2.不調台を見切って好調台で立ち回るパチンコの実践方法-その2
3.パチンコで不調台を見切って好調台で負けない立ち回り-その1

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